記者職
東京支社編集局報道センター北京駐在
古田 夏也
中国の政治、外交問題を中心に記事を書いています。「えっ?北海道から支局を出しているんですね」。名刺を出すとよく驚かれますが、実は北京支局は日中が国交正常化した1972年から50年以上の歴史があり、駐在は私で20人目です。
中国と日本は経済面でも関わりが深く、政策や経済情勢が日本にも大きく影響するため、幅広い視野で社会情勢も含めてチェックしています。中国の北海道人気は高く、観光客も多いですが、最近では東京電力福島第1原発の処理水海洋放出を機に、北海道からの輸出も多かった水産物の禁輸政策が取られたりと、さまざまな動向から目が離せない状況です。
主要メディアの確認はもちろんのこと、中国の政府関係者や現地の企業、さらに日本から来ている駐在員ら多くの関係者から話を聞くことが基本となります。
入社から4カ月。先輩記者から「しばらく音別に暮らしてみないか」と言われました。当時の市町村合併で飛び地となった人口2700人ほどの地域です。駆け出し記者として右も左も分からぬ中、大変なことばかりでしたが、住民との対話を通じて浮かんだマチの姿を7回の連載にまとめました。反響は大きく、5カ月後には隣の白糠町にも移り住んで同じく7回の連載を書きました。若さと勢いだけで乗り切り、上司からは怒られてばかりでしたが、今では良い思い出です。
常にアップデートを続けること。常に取材相手から話を聞かせてもらっているという謙虚さを忘れないこと。分かったつもりにならないこと。
記者という職業は、常に「学び」が大事だと思っています。変化の早い世の中で、常に中身も磨かなければ会話にすらついていけなくなります。中国という事情もありますが、私は「一眼レフ」は持ち歩かず、撮影は大部分をスマホで済ませています。技術の進歩に伴い、記者に求められるスキルも変わっており、動画撮影を行うこともあります。
「北海道」を切り口に、世界中どこにでも飛び込んでいけること。
政治、経済、社会、文化など挑戦できるフィールドは無限に広がっており、自分の視点の持ち方次第で、仕事はいくらでも作ることが可能です。札幌時代の2013年には、ジンギスカンの現状や成り立ちを知りたくてオーストラリアの生産現場を訪ねたこともあります。全国メディアや通信社とは違い、軸を「北海道」として明確に定めることができます。どこで勤務していても拠り所をもっていることは大きいです。
※記載の所属・担当業務内容は執筆時点(2023年10月)のものです。
2005年7月入社
釧路支社
2007年7月
留萌支局
2010年7月
札幌本社報道本部(現・報道センター)
2014年7月
本社編集本部
2017年7月
東京支社報道センター
2022年7月
現職場