記者職
編集局運動部
渡辺 史哉
2009年入社。本社編集局校閲部、釧路支社報道部、遠軽支局、苫小牧支社報道部を経て2016年8月より現職場
2016年8月に運動部へ着任後まもなく、全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)の取材に向かい、北海高の準優勝を見届けました。現在はサッカーJリーグの北海道コンサドーレ札幌の担当記者として、日々の練習や試合を取材しています。
選手の取材は主に、彼らの帰り際に話を聞く「ぶら下がり」。そのため、短時間でうまく言葉を引き出せるかが勝負ですが、答えがこちらの質問の意図とかみ合わないことも。「聞き方が悪かったな」と反省することも多いです。
遠軽支局時代の2013年3月、道内で9人が犠牲となる暴風雪災害がありました。担当エリアのオホーツク管内湧別町では二人暮らしの親子が遭難。父親が小学生の娘に覆いかぶさるように亡くなりました。
「悲劇の主人公」として女の子周辺には全国紙やテレビの東京キー局の取材が殺到。「父が守った娘」という美談に仕立て上げようとするあまりに裏付けのない報道が散見され、警察官が発見時に女の子にかぶせたジャンパーを、父親が脱いで着せた物だとする社もありました。
遠軽支局は事実関係の裏付けを取った上で、努めて冷静に報道することにしました。大前提は「報道で女の子が好奇の目にさらされてはならない」ということです。他紙との競争の中で書かないことは苦しい。毎朝、各紙を開くのが憂鬱でしたが、その考えを貫きました。
ただ、女の子のことを心配する人が全国にたくさんいる以上、その後を伝えることは必要です。支局として1年後、女の子に現在の元気な暮らしぶりを伝える手紙を書いてもらい、紙面に掲載することで一応の決着としました。記者としてのあり方を問われた災害だったと思います。
知ったかぶりをしないことです。特に地方勤務の場合、事件事故から政治や経済といった硬いテーマ、スポーツや地域の話題ものなど、担当分野に関わらずさまざまなことを取材します。こちらの知識が及ばないことも多いです。丁寧な記事を書くためにも、取材時は分かったふりをせず、細かな点まで聞くように心がけています。取材対象について、事前に出来る限りの勉強をしておくことも大事です。
新聞離れが進む昨今ですが、道内では未だに「道新さん」と呼ばれ、頼りにされていると感じます。特に支局は読者との距離も近く、マチを歩いていると「あの記事良かったね」「あの話を載せてくれてありがとう」などと、反応が直接聞こえてきます。読者の「顔」が見えることで、書き手としても「もっと頑張ろう」と思えます。
映画鑑賞が趣味で、劇場で年間100本程度は見るため、休みの日は映画館に入り浸っていることが多いです。支局時代は町役場など地元の人たちとフットサルやサッカーをして汗を流していました。